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2009.05.30

「姓・名」の順での英語表記は文科省の歴史的な愚策である

 英語表記を姓・名の順に変える理由は、「日本語と同じ順序にしたいから」、「順序を逆転したのは、明治のころに欧米に媚びたためで、それがけしからんから」の2つに集約されると思います。

 いま変えても問題ないとする主な根拠としては、「中国や韓国では自国語と同じ順序にしているから」、「英語圏でも、電話帳や名簿では、姓が先に書かれており、姓名の順序でも受入れられるはずであるから」、「中華系が「姓・名」で表記する習慣を欧米人は理解しており、混乱がないから」があります。

 しかし、中国や韓国に合わせるなら、今度はその二国に媚びていることにならないでしょうか。電話帳や名簿だけなら、あまりに用途が限定されていないでしょうか。本当に世界中が中華系のみ「姓・名」の順だと理解しているのでしょうか。それに、見た目で中華系と必ず分かるのでしょうか。

 これだけの理由と検証で、いままで続いてきた習慣を変えようというのは、暴挙としか思えません。

 すでにある程度、Ichiro Suzuki のような「名・姓」の順が定着していると思います。「姓・名」に一理あるとしても、デファクトスタンダードというものがあります。さらに、日本人の中で「姓・名」と「名・姓」が混在することで、大きく混乱してしまいます。

 日本人は、自分の気持ち・信念を大切にする人たちと、それよりも合理性・利便性を重視する人たちの2種類に、大きく分かれていると思います。

 自分の気持ち・信念を大切にする人たちが要職を占めると、これほどまでに愚かな決定をし、混乱を引き起こすことがわかります。

 文科省は間違った決定を下し、それを学生に教えています。この愚策は、ゆとり教育にも匹敵する、取り返しのつかないものです。将来、厳しく批判されることになると思います。

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コメント

殆どの国は英語でも自国語と同じ順序で姓名を表記します。
そうでない方が少数です。

投稿: | 2014.03.21 19:13

>中国や韓国に合わせるなら、今度はその二国に媚びていることにならないでしょうか。

といいますが、自分たちの名前をそのまま書こうと言っているのに、中国や韓国に合わせるというのはまったく関係ありませんよ

投稿: | 2010.11.22 17:25

自分も気になって学校や塾の先生にたずねましたが、先生の方もこんな表記はばかげてるとおっしゃっていました。あなたがデファクトスタンダードだと言っても世間はそうと思っていないかもしれませんよ。返信お願いします。

投稿: 塾帰りさん | 2010.09.25 00:04

質問があります。
中国や韓国に合わせるなら、今度はその二国に媚びていることにならないでしょうか、と言っていますが、自分のそのままの表記で言ってはいけないというのはおかしくないですか?ただ単に例として上げているだけなんですから。
それに「姓・名」と「名・姓」が混在することで、大きく混乱してしまいます、といいますけど昔の日本人は皆名字は前なわけでしょう(伊藤 博文はItō Hirobumi、徳川 家康はTokugawa Ieyasu)
今の時点で混乱しているんですから名字を前に統一したほうがいいと思いますよ。

投稿: | 2010.08.22 20:38

仰ることに価値観の提示がないし、根拠やロジックが甘いと思う。

まず、あなた自身は何と呼ばれたいですか、ということが書かれていないが、その点はどうなんでしょうか。私は、山田太郎と呼ばれたい。太郎山田なんて嫌です派。

その理由。仮に、ですが、英語圏の人が逆に、I am Bill Gates. でなく、I am Gates Bill.と日本式に合わせてきたら変に思える。そもそもが「合わせる」必要はないのでは。

英語ではTaro Yamadaで良いと日本人には定着しているというのも本当だろうか。定着という言葉の意味を吟味する必要があると思う。

そもそも、「姓と名ならどちらで呼ばれたいか」ということと、「山田がFamily nameであり太郎がGiven nameである」ということとをいっしょくたにして考えること自体が問題の定立の仕方としてどうなのかなあ。自分がどう呼ばれたいかは最初に名乗るときに相手に伝えればいいこと。I am Yamada Taro. Call me Taro because its my given name. でもいいし I just prefer to be called that way. でもでいいわけですし。分かってもらうという努力をしないで分かってもらおうとする、伝える努力そのものが欠如しがちなこと、これが姓名論に限らず日本人に最も足りていない気がします。

中国や韓国に合わせる=媚びているというのはさすがに論理の飛躍でしょうね。姓名順が同じで運用まで筋を通している国があるという例を示しているだけのことなのですから。こんなことを言ったら、賛否どちらでも「媚び」じゃないですか。自分の価値観の提示がなくて例を引くとこういう水掛け論や感情論になりがちかと思いますよ。

凄く極端な例を引きます。しかし、物事を考える上では必要な作業かと思います。今、仮に、世界の趨勢が日本式の姓名順だとしましょうか。で、米国人がそれを見て、日本や世界の大勢に媚びてかどうか知らぬが、姓名順に甘んじて諸外国と付き合っていたとしましょうか。で、これを自国内ルールを準用した名姓順にしたいという議論があったとします。そういう国が他にいくつかあるし、そうしたいといった発言があったとします。そのとき、多勢の姓名派は、媚びている、定着している、理解されずらい、などという理由で名姓派を退けることはできましょうか。

私はできないと思う。逆の立場に立ってそう思うのだから、本件に戻り、私は姓名派の言わんとすることも一理あるんじゃないかなと思う。

あるいは類似ないし関連の例で。住所の書き順は日英で逆。これについては筆者はどうお考えなのだろう。その価値観とロジックが知りたいところ。もし余裕があればご教示願いたいところです。

いずれにしても、議論のポイントやメッシュ、組立方や結論の導き方が乱雑で、問題解決型ではなく上げ足取り的な印象ばかりが残りました・・・はっきり書いてしまって本当に申し訳ないのですが。

で、私自身の考えについて敷衍すれば、これは媚びているいないの問題ではなく、通常使用の順が一番素直であるとの価値観で、それは留学生活から今日の英語の日常的な使用について日々感ずるところです。そうした姓名順が英語表記では定着していないのは当然ですが、しかしながら Taro Yamadaが定着しているかといえば(使いやすい、素直である、今後もそうあってほしいかとまで思うかとなれば)、そうではないだろうと思います。これからどうやって定着させるか=主には筋を通し、その方向でしっかりやる、ということに尽きると見ますが、それは自分の経験からしても運用可能で現実的だという見立てです。故に私は姓名順をよしとし、つまりは基本的にYamada Taro派です。

あと、以下のようなことも知っておいてほしいし、知っているなら書いておいてほしいです。

まず、少なくとも表記上では、姓名を明確化するためもありますから推奨表記として、YAMADA, Taro という方法があります。

また、日本をよく知る外人は私を含む英語を使う日本人に対しては、日常的にYamada-sanのように話しかけてくる&メールしてくるものです。ちなみに、こちらは彼らのチョイスに従って、Hi, Billとし、本人が希望しない限りはGates-sanなどとはしません。

で、私の主張を述べます。ルールを統一化する必要はそもそもがないだろうと思います。お互いの良いと思うものを尊重し合って利用できるということです。それが自然であると感じられています。そのうえで、分かりやすさ・一貫性を重んじてのYamada Taro派です。

なお、日本人でもファーストネームで呼んでほしいと言う人は多少います。それから、中国人は名前の発音が難しいことから、海外生活上で英語名を借用し通している人が非情に多いです。このあたりこそ、私やインド人の友人が「媚び」と感じたところでして、かれらにどうしてそうするか随分尋ねたりしたものです。

長くなりました。しかし、以上を踏んだ上で最後に筆者のクレディビリティ、平たく言えば、現場精通度とか事実検証度を問いたい。

どんな意見をお持ちかに限らず、ご意見を開陳するだけの知見や説得力が見えないのは残念です。なぜあなたがこういうことを言うのかが見えてこない。少なくとも私の腑には落ちませんでした。

投稿: 通りがかり | 2010.06.10 15:56

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